WELCOME TO *I LOVE BREAD*

 パンの歴史 

パンは紀元前6500年ころ メソポタミアで生まれたといいます。
メソポタミアは現イラクのあたりの平野部のことです。

その肥沃な土地に 西アジア原産の小麦を栽培するようになりパンが生まれました。

最初のパンは 麦を引いて粉にして水をくわえて練って焼くといった無発酵の平焼きパンでした。
  
  (南アジアから中東にかけてのチャパティなどが原形をとどめています)


その平焼きパンがエジプトに伝わります。
土壌に恵まれたナイル川の流域では小麦が大量に栽培されるようになりました。

そして暑いある日。粉をこねてほおっておいた生地が自然発酵し膨らんだのです。
それを見つけたエジプト人が焼いて食べてみたらフワフワのパンだった・・・
これが発酵パンの始まりだと言われています。

やがて発酵パンはギリシャに伝わりパンのヨーロッパ進出です。
ギリシャの人々はエジプトの製粉・パン製法に改良を加えていきます。
このころパン職人が登場し 酵母菌を作りだしました。
そして「マゲイロス」と呼ばれる窯を改良していきながら 
牛乳やはちみつ 卵・ドライフルーツやゴマなどを生地に混ぜ込んだ嗜好性の高いパンも焼くようになりました。
やがてローマにパンが伝わっていきました。

紀元前300年代 自国のパン職人の育成に力を注ぐようになり 
ローマ帝国がヨーロッパに勢力を拡大していくようにパン文化も発達したそうです。
それからローマ帝国が侵略されたりして沈んだ時代があったり活気づいてきた時代もありますが
釜はローマ時代のままで製法にも あまり変わりはありませんでした。

それから時は流れて16世紀 フランス王家とイタリアの財閥メディチ家の婚姻によってイタリアの製パン技術が伝わり
「フランスパン」と呼ばれるものが誕生します。
このころからヨーロッパのパン文化の中心はフランスへ〜

さらに18世紀オーストリアのハプスブルグ家とフランス王家の婚姻。
有名なマリーアントワネットとルイ16世の結婚です。
それにより オーストリアの食文化がフランスに入りフランスのパンやお菓子に影響を与えました。

フランスの代表的なパンの一つのクロワッサンは17世紀初めのオーストリアに登場し
その後フランスに伝わりましたが、最初は硬いロールパンのようなもので
現在のようなリッチなクロワッサンになったのは20世紀に入ってからのことのようです。


〜日本のパンの歴史〜

中国を経て小麦が日本にやってきたのは紀元前100年ごろと推定されているようです。
どおのようにして食べていたかは 定かではありませんが 粉にして水で練って丸めて蒸したり焼いたりする
食べ方は中国から伝わったといわれています。

本格的な西洋風のパンが日本にやってきたのは16世紀の半ば ポルトガルの船が種子島に漂着して鉄砲を伝えたという
戦国時代の歴史でも よくしられている あの事件が きっかけです。

パンを主食としていた彼らは その後の従来 宣教師フランシスコ・ザビエルの来日とキリスト教の布教活動によって
ポルトガル由来のパンを急速に普及させることになります。
しかし そのころの日本の米は 主食だけでなく年貢など通貨にも匹敵するくらいの価値があり
パンは まだまだ珍しいものだったようで パンを必要としていたのは教会を別にすると
ポルトガルやオランダなどの南蛮人と呼ばれる人たちだったようです。

その後 日本の歴史で知られているようにキリスト教が禁止され それにともないパンの普及も禁止され
1587年のバテレン追放令に始まるキリシタン弾圧 につづく鎖国政策でヨーロッパからの伝わってくるパンはなくなりました。

200年あまり ほとんど忘れられていたパンですが1842年4月12日 江川太郎左衛門(伊豆韮山の代官出会った軍学者)は
韮山の指定にパン釜を設置しパンの量産性を試みたと記録されています。
試作には飽きの来ないようリーンなパンが焼かれたようです。
江川太郎左衛門は日本におけるパン文化の先駆け的な存在で評価され 現在の毎月12日の「パンの日」
彼の試作日にちなんでつけられたようです。

〜*参考図書*〜


焼きたてパンの図鑑

・・・他、図書館で借りた 「パンの知識」 という本・・・

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